絵本学会

「点字つきさわる絵本」がやってきた
 田中健一(福音館書店編集部)

 前回のエッセイを書かれたJBBYの撹上久子さんとは、「点字つきさわる絵本の出版と普及を考える会」で知り合いました。「会」は点字つきさわる絵本の商業出版を目指して、「てんやくえほんふれあい文庫」の岩田美津子さんが、10年ほど前に結成されたものです。出版社をはじめとして、印刷会社、デザイナー、研究者、教師など、幅広いジャンルの方々が毎回出席され、各社の進捗状況や今後の予定などについて、情報交換を行っています。

 ユニバーサルデザインは様々なジャンルで広がっています。シャンプーやファミレスのメニューにも点字がついていますし、駅のバリアフリー化は近年整備されてきました。ところがこの分野で一番遅れているのが出版とも言われているくらい、墨字情報取得の困難な人に対して、出版業界は腰を上げてきませんでした。その状況を打ち破る試みが、この会を中心に取り組まれているのです。
 点字図書の商業出版について関心を持っている人は多くはないけど、各社一人二人くらいはいるのではないか、それならその人たちを集めて、実現可能性について模索したらどうか、ということで会は始められたそうです。福音館からは点字つき絵合わせカードの「ゆかいなどうぶつ」を編集した担当者が創立当初から参加し、点字絵本の出版企画を進めていました。私はそのあとをついて参加するようになりました。
 「会」には児童書他社を退職された先輩編集者や、特別支援学校の先生など、障がいを取り巻く現場に精通されたベテランが並び、深い知見からのお話をお伺いすることが出来ました。「この分野は気持ちのある人がいないと前進しない」「この分野はバトンリレーみたいなものだから、前の世代のバトンを次の世代へと繋げないといけない」ということを熱く語ってくれたのも、その他社や他業種の先輩たちでした。
 私が学生時代だった、もう20年以上も昔の話ですが、大きな本屋さんを巡っては「点字の本ってありませんか?」とわざと聞いて回ったことがあります。でもあるのはせいぜい点字表記の方法を書いた本ばかり。点字を使って書かれた本は、店頭では1冊も売られていないことを確かめたことがあります。
 ところがあるとき、都内の大型書店で「ありますよ」と出された本がありました。それが「チョキチョキチョッキン」(岩田美津子著・こぐま社)でした。あのときすでに、のちに「会」で出会う先輩たちのバトンが目の前に見えていたことを思うと、感慨無量です。
「会」が創立10周年を迎える2012年に、こぐま社、偕成社、小学館の3社が「てんじつきさわるえほん」を同時出版したのをご存じの方は多いでしょう。福音館でも時期は遅れましたが、先行する3冊をお手本にしながら、また「会」のメンバーから学びながら、2013年に「てんじつきさわるえほん ぐりとぐら」を出版することが出来ました。岩田美津子さんが10年以上前に播いた種が、そういうかたちで一歩ずつ実を結んでいます。
(※「会」には参加資格はありません、興味のある方には、どなたもお出で頂けるものです。「ふれあい文庫」までお問い合わせ下さい。)
 
 さて、この本を作るにあたって、福音館では特別な編集制作体制を取りました。通常作っている本とは、読者が違う、編集方法が違う、印刷も製本も違う、売り方手渡し方が違う、輸送の方法まで違います。そのため従来の編集部の枠を越えて4人のスタッフが異なる部署から集められ、編集制作を先行し、目処がついた頃から宣伝営業のスタッフが、そこに加わりました。
 普段は別々に仕事をしている異なる部署の人たちが、一時期ひとつの目的に向かって、一緒の仕事をするという経験は、社内に少なからず活力を与えたような気がします。何しろ、先行例がないというのは愉快なものです。社内に誰も「点字つきさわる絵本」の作り方も売り方も知っている人がいないというのは、新雪に初めて足跡をつけるような嬉しさがあります。これは是非多くの社の方にお試し頂きたい経験です。社会的使命などと気張らずに、まずはちょっと足を踏み入れて頂けたらと思います。
 思えば「会」はもう10年以上前から、そのように異なる場所から、異なる所属の人たちを集めていたのでした。その小型版の様なことが社内でも起こったのです。どうしてなのでしょう。いずれも中心には「点字つきさわる絵本」がありました。それが大きな求心力となって、人々をその周りに呼び集めていたことに間違いありません。
 牧師で神学者の故荒井英子さんは、べてるの家の向谷地生良さんの言葉を引きながら「『弱さ』という情報は、公開されることによって、人をつなぎ、助け合いをその場にもたらします。」「私たちが本当に解放されていくのは、強くなることにおいてではなく、支え合うことにおいてです」と書かれました􀀀。今に至るも不足したままの「点字つきさわる絵本」というこの社会の弱点を求心力として、各方面から人々があつまり支え合っている状況は、そこに少しでも携わる人々を、今の経済優先の社会通念から少し解放し、児童書の出版の場を、以前よりも強くしてくれるのではないかとさえ思うのです。
 子どもの本は100パーセント子どものことだけを考えて、作られ手渡されなければならないのが大前提です。それでも今の世の中では「どれだけ売れたか」という経済優先の価値観が、ややもすると、子どもの本に対しても「成功」のバロメーターとして考えられかねない気配があります。そんなとき、決して高利益を生むわけではない「てんじつきさわるえほん」が手渡されていく状況が続くとしたら、まだまだ日本の児童書出版は捨てたモノではないと思えるし、そのためにも今後たくさんの出版社にも作家にも書店にも研究者にも、どんな人にもこの分野に参入してもらいたいと思うのです。「会」は出版のための情報を惜しみなく提供するでしょうし、その目標に向かって共に助け合っていく用意は既に出来ているのです。